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大阪高等裁判所 昭和60年(う)351号 判決 1985年12月12日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人平柿完治作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官山路隆作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第二(理由不備の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、本件過失の注意義務の内容につき、「一時停止又は徐行して」「左右道路の交通の安全を確認すべき注意義務があるのにこれを怠り」と抽象的に、しかも選択的にいうのみで、何ら具体的な事情、注意義務を判示していないうえ、事故前の被害車両の速度についても、時速約三〇キロメートルに減速したとするが、そのような証拠はなく、どのような理由からそのような認定をしたのか不明であり、これら各点において理由不備の違法があつて破棄を免れないというのである。

そこで所論にかんがみ記録を調査し検討するに、原判決が、交通整理の行われておらず、かつ左右道路の見通しが悪い原判示交差点(以下本件交差点と略称する)を普通乗用自動車を運転して直進しようとした被告人に対し、所論のいうような注意義務がある旨判示しているにすぎないことは明らかであるが、刑事訴訟法三三五条にいわゆる罪となるべき事実の判示は、それがいかなる構成要件に該当するかを判定するに足りる程度に具体的並びに明白にすることを要し、かつそれをもつて足りると解されるので、本件過失の注意義務の内容としては原判示の程度で十分であり、所論のいうように更に詳細、かつ具体的に判示することを要するものとは解されないから、原判決に所論のいうような理由不備のかどがあるとは認められない。

なお、原判決が証拠に基づかないで被害車両の減速した速度を時速約三〇キロメートルと認定したという点は、原判決中の「(被告人及び弁護人の主張に対する判断)」三項七行目の記載を指すものと解されるが、原判決は、「同二項の1 本件交通事故の概要」及び「同項の3 本件交通事故当時の状況(三)」において、原判示各証拠に基づき被害車両の速度を時速約三五キロメートルと認定、判示しているのであつて、これら判示に照らすと、所論の記載は明らかな誤記に過ぎないものと認められ、原判決に所論の不備があるものとは認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

論旨は、原判決は被告人が普通乗用自動車(以下被告人車両と略称する)を運転して本件交差点に時速一五キロメートルで進入した徐行義務違反と左右道路の安全確認を怠つた義務違反の二点をもつて被告人の過失と認定しているが、被告人の進行道路は被害者運転の自動二輪車(以下被害車両と略称する)の進行道路に比して「幅員が明らかに広いもの」に当たり優先通行権があるので、被告人には徐行義務はなく、仮にそれが認められないとしても、本件交差点は見とおしのきかないものではないから、一時停止の義務はなく、時速約一五キロメートルに減速し、かつ左右道路の安全を確認して先入進行した被告人には過失はなく、本件事故は被害車両が時速約三五キロメートルの高速で同交差点を通過しようとしたために発生したものであり、被告人にはそのような高速進入車両のあることまで予想して運転する義務はなく、被害者側の一方的過失によることが明らかであるから、原判決はそれらの点で判決に影響を及ぼすことが明らかな事実を誤認したものであつて破棄を免れない、というのである。

そこで所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、原判示各証拠によれば、

(1)  本件交差点は、大津市内の市街地にあり、交通信号機の設置はされておらず、東西に通じる歩車道の区別のないアスファルト舗装道路(幅員東詰で約五・二五メートル、西詰で約五・〇五メートル、七時から二〇時までの間は二輪車を除き西行一方通行規制)と、南北に通じる歩車道の区別のないアスファルト舗装道路(幅員南詰で約四・八メートル、北詰で約三・七五メートル、七時から二〇時までの間は二輪車を除き北行一方通行規制)がほぼ直角に交差する十字路であり、いずれの道路にも優先道路の指定はなく、東西道路の最高速度は時速二〇キロメートルと制限されていること

(2)  本件交差点は、その四隅に民家或いは商店があるため、いずれの道路からも交差道路に対する見とおしは悪く、被告人の進行道路においては、普通乗用自動車の先端が交差点にさしかかる手前一メートルくらいの地点に至つてようやく左右道路の奥五ないし六メートルが見とおせる程度であること

(3)  本件事故の衝突地点は、司法警察員作成の昭和五八年八月一六日付実況見分調書添付交通事故現場見取図点であり、衝突の状況は被告人車両の後部左ドアー部分に被害車両の前輪がほぼ直角に当たつているものであること

(4)  本件交差点に進入する前後の被告人車両の速度は時速約一五キロメートルであり、被害車両の速度は時速約三五キロメートルであつたこと

(5)  被告人は、本件交差点に進入する際、付近の歩行者に注意を奪われ、交差点左右道路の安全を十分確認しないまま進行し、衝突時まで被害車両が同交差点に向かつて進行していたことには気付いていないことが認められる。

右事実によれば、本件交差点が交通整理の行われておらず、かつ左右の見とおしがきかないものであることは明らかであり、前示のような各道路の幅員及び東西道路の進行速度が毎時二〇キロメートルと規制されていることなどに照らすと、被告人は事故の発生を未然に防止するためその進行速度を時速一〇キロメートル以下に減速徐行して進行すべきであつたと考えられるのに、それを超える時速約一五キロメートルで同交差点に進入し、その際左方の安全確認をも怠つた過失のあることは否定できず、この点の過失がないものとする論旨は理由がないものといわなければならない。ただ、原判決は、被害車両が被告人車両にとつては「交差道路を左方から進行してくる車両」という優先車両に該当し、かつその進行道路が最高速度の制限のないものであるから同交差道路をどのような車両が北進してくるか予測できないことを考慮すれば、被告人には本件交差点手前で、徐行するだけではなく、一時停止すべき義務もある旨判示しているが、同交差点は特に左右の見とおしが著しく悪く(交差点直前での左右の見とおしが二メートル以下くらい)かつ交差する道路が狭隘(三メートル以下)な場合であるなど特に一時停止が必要とされるような状況にあるものではなく、現に本件交差点は一時停止の交通規制はされていないものであること、また道路交通法三六条一項一号にいう「左方から進行してくる車両」は当然優先通行権を有するものではなく、単に同条項による義務を負わないことによる反射的効果としての先行順序を与えられたものに過ぎないと解されるので、右条項を根拠として被告人に左方交差道路を高速度で通過しようとする車両のあることまでも予測して、一時停止すべき義務があるとすることはできないことなどに徴すると、本件の場合被告人に交差点手前での一時停止義務があつたとは解されず、従つて、この点についての原判断は相当でない。

また所論は、本件交差点の被告人進行道路(東西道路)が南北道路の幅員に比して、「明らかにその幅員が広いもの」に当たり、被告人には優先通行権があるので徐行すべき義務はない、というのであるが、昭和四六年の道路交通法の改正により、同法四二条一号において同号の左右の見とおしがきかず、交通整理の行われていない交差点での徐行義務が免除されるのは優先道路通行車両のみであると明示されるに至つたため、いわゆる広路通行車には徐行義務は免除されないものと解されているから、その所論もすでに前提を欠き失当である。

しかしながら、更にすすんで被告人の前示徐行義務違反等と本件衝突事故との因果関係について検討を加えるに、当審事実調の結果を含む前示各証拠特に当審受命裁判官の検証調書によれば、

(一)  被告人車両(普通乗用自動車)は、車長が四・六九メートル、車幅一・六九メートル(なお、車体の先端から運転者の目の位置までの距離は約二・二五メートル)であり、被害車両(自動二輪車)の車長は二・〇八メートル、車幅は〇・七四メートルであること

(二)  東西道路の被告人車両運転席からの見とおし可能範囲は、本件交差点東詰め(その西約一・〇三メートルが本件衝突地点)に加害車両の先端がさしかかる際の同車運転者の目の位置(右検証調書②点)において右衝突点から南へ約九メートルまで、②点の一メートル手前の①点で約七・四五メートルまで、②点の一メートル先方の③点で約一一・二六メートルまでであること

(三)  そして被告人車両が右①点(その先端が交差点東詰より一メートル手前の地点)から約四・八三メートル進行した際、その後部左ドアー部(車両先端から約二・八メートルの部分)に被害車両が衝突しているので、被告人車両の時速を一五キロメートル、被害車両を時速三五キロメートルとすれば、被告人車両が①点の際の被害車両の先端の位置は衝突地点の南約一一・二七メートルであり、同②点では約八・九四メートル(従つて、この地点でかろうじて発見可能であつた)、同③点では約六・六メートルであつたと推認されること(なお、両車両の進行速度は、捜査時に被害者及び被告人が、それぞれ、時速三五キロメートル、同一五キロメートルと供述しているものであり、昭和五八年九月一〇日付司法警察員作成の実況見分調書謄本中の被害者の指示説明によれば、被害者が被告人車両を発見して衝突するまでの両者の進行距離は、約一〇・七メートルと約四・四メートルであり、その比は大体三五対一五になることからも、両者の速度についての各供述はほぼ正確なものとして信用できる)

の各事実が認められるが、これらを総合して考えれば、(時速一五キロメートルの場合は勿論のことであるが)仮に、被告人が本件事故時に、時速約一〇キロメートルに減速徐行し、かつ左方道路を注視していたとしても、本件交差点に進入する直前の前示①点(被告人車両の先端から衝突地点までは約二・〇三メートル)では、左方道路への見通しは衝突地点の南約七・四五メートルまでであるから、その更に南約四メートル弱の地点を走行している被害車両を発見することは不可能であり、その後時速一〇キロメートルで約〇・三秒間(約〇・八メートル)進行して(このときの視認可能距離は、一メートル進行して約一・五五メートル増加するので、一・五五メートルに〇・八を乗じた一・二四メートルをさきの七・四五メートルに加えた八・六九メートルとなる)始めて、衝突地点から約八・三五メートル南付近を進行している被害車両を発見し得るものであるから、発見と同時に被告人が急制動の措置をとつても、その制動距離約一メートルと被害車両の車幅(片側〇・三七メートル)を考えれば、被告人が原判示注意義務(但し、一時停止義務を除く)を果たしていたとしても、被害車両との接触、衝突は避けられなかつたのではないかとの疑いを払拭し得ない。

してみると、本件は専らそのように見とおしが悪く、交通整理の行われていない交差点を時速三五キロメートルもの高速度で進行して通過しようとした被害者側の過失によるものと評して妨げなく、被告人に前示徐行義務を怠るなどの過失があるとしても、該過失が被害車両との衝突事故について原因を与えたものと認めるには疑問が残り、その証明が十分でないといわなければならない。論旨は結局理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決する。

本件公訴事実は、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五八年八月一〇日午後四時三五分ころ普通乗用自動車を運転し、大津市中央二丁目六番一三号先の交通整理の行われていない交差点を中央三丁目方面から中央一丁目方面に向い直進するにあたり、同交差点の左右道路の見とおしが困難であつたから、一時停止又は徐行して、左右道路の交通の安全を確認すべき注意義務があるのにこれを怠り、歩行者に気をとられ、左方道路の安全を確認しないまま時速約一五キロメートルで同交差点に進入した業務上の過失により、折から左方道路から進行してきた伊藤信道(一六歳)運転の自動二輪車に自車左側部を衝突転倒させ、よつて同人に対し、加療約一か月間を要する頭部外傷Ⅱ型等の傷害を負わせたものである。」というのであるが、前示のとおり犯罪の証明がないことに帰するので刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石田登良夫 裁判官梨岡輝彦 裁判官白川清吉)

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